My father

2015.1.12
62歳の誕生日
癌になってから5度目の誕生日
発熱を繰り返し一緒にお祝いが出来なかった。
オフホワイトのセーターをプレゼントした。

 

2015.2.21
再婚

 

2015.4.16
抗癌剤の副作用でがりがりだったのにお腹周りが少し太った。
食欲は無さそう。
気づいたらもう外でご飯を食べれなくなってた。

 

2015.4.25
腹水が溜まりお腹がぱんぱん
足も象のようにぱんぱん
苦しいそうだけどご飯(おかゆ)はしっかり食べれてる。
病院に行けと言っても週明け船の車検があるから行かない。船より命の方が大事
帰り際、パパは優しい。

実家の帰り道
娘にじじは死んじゃうからありがとうって感謝の気持ち沢山言ってあげてね。と言うと
そんな事(死ぬ)、言わないでよ!!と怒られた。
娘の前で泣かないように堪えた。

 

2015.4.26
朝から旦那の胸で泣いた。
パパとたくさん話すこと。
パパの夢やしてほしいことを聞くこと。
パパに感謝の気持ちを伝えること。

あたしはなるべくパパと同じ時間を過ごす事。

 

2015.4.28
病院の日
すぐに入院してほしいと担当医に言われたけどGWに釣りをしたいからとごねる。
先生にそんな体で遊べると思ってるの!?って言われたと怒ってた。
ママも言う事を聞かないパパにピリピリしてたけど
パパにじゃなくこの日、余命宣告されたからだって後から知った。

 

2015.5.2
ママの誕生日にThaiへ出発
朝、電話してパパに変わってもらったけど声が出なくて小さなかすれた声だった。
私が日本を離れている間に何も起こりませんように!

 

2015.5.10
帰国して羽田からすぐに実家電話
パパが7日に入院
この日、初めて6月は迎えられないと担当医に余命を宣告された事を知り泣き崩れた。
4/28から出発までariに言うか言わないかとても悩んだと思うその気持ちを考えると苦しい。
旦那と2人で泣いた。

本人は告知派だけどママはパパに告知はしないと言ってた。
パパの性格を1番わかってるママの意見に従う事にした。
パパに余命なんて死んでも言えないから。

お見舞い。
顔を見て安心した。
お腹の張りはそのままだけど象のような足の浮腫みは治まってた。さすが病院

 

2015.5.12
なんだかんだ理由を付けてお見舞いに来てる。
もう辛い抗癌剤治療しなくていいのに抗癌剤を打った。
打った後、だるさと痛みの戦いが始まる。

治療を止めたらもう治療出来ません死にますって言ってるようなものだから
抗癌剤を打てる事が患者の希望になってる。
でも抗癌剤って1回の抗癌剤で何十万も病院に入るんだって。
こんな状態でも打たせるなんて病院も商売なんだなって思った。

この5年の闘病生活、調子が悪くて打てない日もあったけど休まず抗癌剤を打ち続けた。
何度ももう止めてもいいんだよって言葉が出そうになるけど飲み込んだ。

 

2015.517
腹水で張ってたお腹が点滴でぺっちゃんこに。
その変わり体の水分が外に出過ぎて脱水症状になり寝たきりの状態になり数日
ただでさえ抗癌剤で食事が摂れないから56kgあった体重が44kg
腕や足が片手で掴めるほどやせ細ってしまった。顔も骨が浮き出てる。
それでも絶対に退院すると希望を持ち弱音を吐かない強い人
癌は本当に怖い病気

明日はCT、どうかこれ以上悪いことが起きませんように。

 

2015.6.4
パパ生きてます。体重48kg
無理矢理退院し病院に通ってる。
先週辺りからまた腹水が溜まり通いで利尿剤の治療
入院している時よりも状態は全然いい!!

ただ、運転が注意力低下してるような感じがする。
例えば信号で黄色でも行ける所で止まり。
赤に変わり前の車に釣られて行ってしまい信号無視で捕まったそう。
若い頃は車のレーサーでレースにも出てたので車の運転には自信がある
だからこそ心配

そして船を売ると言いだした。
船に乗ってぼけーっと海の上に居る時が幸せだと言ってたのに…
自分の命より船を優先する人が船を売るなんて。

“船があるから正直頑張れた部分もあるけど
もし俺が死んだら船の処理に困るだろう?
だから身辺整理する。”

看護婦さんにも身辺整理はいい事だよと言われたらしい。
看護婦さん、告知して無いのに何言ってんの!?と思ったけど
私は父のやりたいように全てを任せます。

 

2015.6.17
今週ずっと眠りが浅い。
寝ると必ずパパが夢に出て来て目が覚める。

パパの状態はとても悪いです。
お腹は妊娠8か月ほどの大きさに腹水が溜まり。
手足は片手で掴めるほどやせ細くなり。
足は象のように浮腫みでパンパンで痺れ。

毎日通院して利尿剤をしています。
抗癌剤はもう打つ事が出来ません。

とうとう打つ事が出来ない状態になった事
いつかこの日が来る事は分かって居たはずなのに
もう治療法がないと言う現実を受け入れる事が出来ない。

そして船を売却しました。
そのお金の一部をもうお金は必要ないと言い私に渡して来た時
絶対に泣かないと決めていたのに涙が止まらなかった。
泣きながら受け取れない。諦めて欲しくない。って子供のようにわんわん泣いた。

夜、初めてパパに今の気持ちをメールした。
そして初めて返信が来た。

ありがとう心配させてごめん頑張るから

胸をぎゅっと鷲掴みされるような苦しい気持ちになる。
今日は死ぬほど泣いた。

 

2015.6.18
父は日曜も利尿剤の注射を打ちに病院へ行くと私に向かって言ってた。
生きる希望を捨てて無いという意思を私に見せる為だとしたら…
諦めて欲しく無いとメールした私に対しての気持ちだと思う。

旦那もメールを送ったらしく長文過ぎ余計寝れなくなるってパパは笑って言ってた。
本心は嬉しかったんだと思う。

 

2015.6.20

病院嫌いな父が自ら今日入院します。
また退院出来る事を祈ってます。

 

2015.6.21
父の日
パパ、父の日迎えられたね。

 

2015.6.22
昨日からアルブミンと言うたんぱく質を身体に入れ始めました。
足の浮腫みが徐々に良くなっていたけど腹水は変わらず。

お腹の胃の辺りに赤ちゃんのこぶしほどの大きさの硬いしこりが出来てて
気になってる様子だったから携帯で調べたら腹膜播種
癌の腹膜播種が腹膜を超えて皮下組織に浸潤している事が考えられる。
癌の終末期て言葉が必ず書かれてる。
本人に言える訳ないから調べときながらなんだろうね!?って返事を返す。
ただでさえ、腹水や浮腫みで自分の身体が別人になって不安なのに
今度は胃に飛び出したしこり(腹膜播種)
もう本当に可哀想で可哀想で辛い。

 

2015.6.29
私の誕生日。怖かった。
あたしの誕生日に逝ってしまうかもしれないと思ってずっと不安だった。
めちゃくちゃネガティブ

 

2015.7.4
私が事故してしまい数日お見舞いに行けなかったんだ。
家族でお見舞い。
落ち着いていたはずの足の浮腫みは戻り。
腹水は変わらずで利尿剤を増やしてずっと点滴
栄養は点滴から摂るようになった。
少しずつ少しずつ衰弱して来てるように見えた。泣
そんな姿を見る度に可哀想で目を背きたくなる。
どうかパパの状態がちょっとでも改善し退院出来ますように。

 

2015.7.8
初めてママがパパが可哀想で辛い。もう限界。と弱音を吐いた。

あの時、もっと早く病院に行って居たら
もしかして肝臓に転移して無かったかもしれない。
パパと過ごした日々は波乱万丈だったけど飽きる事の無い人生だった。
これからパパが居なくなっちゃったらどうしよう。凄く不安

そうだよね……
ママも気持ちもギリギリなんだよね。ごめんね。

 

2015.7.13
今日は父以外の家族で担当医から話を聞く日
黄疸の数値で数字的な余命が出て来てざっくり言うと…
後1.2週間程で意識障害で会話が出来なくなる。
その頃になると利尿剤で出してた尿も出なくなる。
父の余命は7月いっぱい。
あたしが泣き、ママも泣き…
パパには会わずに旦那に自宅に送られ1日とことん沈んだ。

 

2015.7.14
個室に移動。本人は嫌がってたけど個室に移った。
パパまた更に痩せて骨になってた。
黄疸で皮膚が痒いからなのか腕は紫色の内出血
身体も黄色いけど白目も黄色い。
何も掛けてあげる言葉が見つからない。
帰り際に気つかわせてすまないって言われた。
涙が出るからあんまりそんな事、言わないでほしい。

 

2015.7.15
寝てるのが気持ちいいと言ってる。
携帯がバイブにならないから直すやり取りちょっと変だった。
まるでコントのようで冗談なのか本気なのか。
これが意識障害なのかな。
まだ少し話せる。もっと話したい。もっと話したい。

 

2015.7.16
筋肉が落ちて立てない。
看護婦さん2人に抱えられないと起き上がれない。
腹水で胸が圧迫され辛そうだった。

病室にお金を結構持ってて…
危ないからお財布持って帰るねって言ったら
いつも顔で男が財布に金が無いのもかっこ悪いだろって言ってた。
いや、ここ病院だしって思ったよw
でもすぐにお金なんてあっても使えないしなって言った。

本当胸が苦しい。泣くの我慢。

 

2015.7.17
色々昨日の事を思いだしては号泣
朝から何もする気力が起きないけど仕事しなくちゃ…

朝方にトイレ行けないから管を付けられたらしい。心電図付
それでも管を付けた事に気づかずトイレに行こうとし暴れる。
床擦れ防止の為にマットレスからウォーターベッドになってた。
パパは気持ちよさそうに寝てる。
帰る時に声を掛けたら頷いてくれた。

 

2015.7.18
今日はずっと眠り続けてる。

 

2015.7.19
初めて1人でお見舞いに行ったら目を開けてた。

目は外人のように茶色く白目は黄色…
焦点は合わず片目は違う方向に…

肝性脳症、肝性昏睡のステージ4の症状
いつ昏睡状態になってもおかしく無い状態
でも今はまだ呼びかけるすると声はもう出無いけど
瞬きをしてくれたりするの!
だから確実にまだ意識はある!
腹水は全く無くなりお腹ペタンで良かったと思ったら
全て脚に溜まり破裂しそうなほどパンパン

もうあたしの知ってるパパじゃないの。
変わり果てた姿にずっと我慢してたのにパパの目の前で泣いてしまった。
やっぱり1人で行くと涙腺がぶっ壊れてしまう。危険

 

2015.7.20
今日で入院して1ヶ月
退院出来ますようにと祈ってたけど駄目でした。
血圧70を切りいつどうなってもおかしくな状態だと看護婦に言われた。
そして今日はずっと目が開いてる。

 

2015.7.21
ママと交代で付き添う。
血圧50心拍84まで下がり1回の呼吸が遅い。
兄弟夫婦が来る。
双子の兄弟のがんばれ!負けるな!って声援に泣きそうになる。
その声が届いてるかのように手足をバタつかせ起き上がろうとする。
その後、定期的に胸を掻き毟るようにし痛がる。
パパ、聞こえる!?痛いの!?ゆっくり呼吸して。
最後は絶対に痛くないようにしてあげるからね!と
モルヒネを足すと静かに目を瞑る。

 

2015.7.22 4:03am
逝ってしまいました。

 


 

これは私の目線で書き留めていた父が癌と戦った闘病日記です。
この病気について沢山調べました。
でも助かる方法はありませんでした。
最終的に、安らかな最後を迎える為のアドバイス程度でした。
腹水が溜まり始めたら本当に末期を迎えるんだなと思います。
それでも調べずには居られなかったし助けてあげたかった。
私の寿命を分けてあげられたらなんてありえない事を常に考えてしまうほど
この1か月の入院期間は父を含め家族も辛いものでした。
それでも生きていほしいかった。

最後まで痛い苦しい辛い一切言わず戦い抜いた父に敬意を表します。
今でも目を瞑れば父がいます。感じます。ありがとう。

 

My Father #2

Advertisements